雷神社 宮司 嶋田 正

日本人は、時間に正確だと言われている。事実、電車の運行は時刻表どおりが当然で、10分も遅れたら、苦情が出るだろう。会議だって、今や定刻開催が当たり前。人との待ち合わせに、30分も遅れたら謝罪しなければならないだろう。

そんな「時間に正確な日本人」は、昔からと思ったら大間違い。江戸時代時は鎖国なので、外国人の往来は、長崎の出島や一部の地域に限られていた。そんな中でも、日本に来た外国人の手記によると、日本人は時間にルーズで、平気で何時間も人を待たせたり、時間を守らず困った人たちであったようだ。

明治になり新政府は、近代国家として「時間を守る」事を、学校教育等で強力に推進して、今日のように「時間に正確な日本人」を作り上げてきたという。元来、単一民族とは言わないが、大多数が同一民族で同一言語を使う日本人は、その特性から真面目にも、それをやり遂げたのです。

昔の時刻表

昔の人の時刻表「時刻早見表」を見てください。十干の子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)で24時間を表示します。子は夜中の12時、丑は午前2時、寅は午前4時。2時間毎に割振り、この2時間を「1刻」とし、半刻が1時間、四半時が30分ということになります。2時間を単位として生活をしていても、さして問題が無い時代であった訳ですから、当時、「時計」という「機械」が示す時間で生活していた外国人から見れば、「時間にルーズ」と映っても仕方が無かったのでしょう。

時刻については、子の刻0時を「9ツ」、午前1時を「9ツ半」、丑の刻午前2時を「8ツ」、午前3時を「8ツ半」、と表のように数を減らしながら数えていく。卯の刻は6ツで特に「明け6ツ」と呼ぶ。

午前11時は4ツ半。そしてお昼の12時は午の刻で「正午」と言い、再度「9ツ」になり、それから午前と同じに数を減らしていく。9ツ半は午後1時、8ツは午後2時と減っていき、酉の刻午後6時は「6ツ」で特に「暮れ6ツ」というふうに呼んだ。

「草木も眠る丑満つ時」は午前2時。「お江戸日本橋7ツ立ち」といって、旅行に出かけるのは7ツの午前4時という早朝に出発した様だ。昔は徒歩(かち)で行くのが普通であったから、早朝に出かけて、夕暮れまでには宿に入ったようだ。ちなみに、新宿、品川等は「宿場町」であって、江戸の御府内ではない、「武蔵の国」であって、現代人の「東京」という感覚と、当時の「江戸」とい地域的な範囲は大分違っていたようだ。

さて、もう一度表を見て頂こう。子の刻は0時で方位は北。午の刻はお昼の12時で方位は南。この子と午を結んだ線を「子午線」と呼ぶのは御存知だろう。地球の北極と南極を結ぶ経線を「子午線」と呼ぶのはここからきています。
また、お昼の「午の刻」の前の時間は「午の刻の前」だから「午前」、「午の刻の後」は「午後」と呼ぶ。そうやって表を見ると、面白いでしょう(*^_^*)

なお、丑寅の方角は北東で、「鬼門」に当たります。だから、鬼門の鬼は牛(丑)の角を生やし、虎(寅)のフンドシをしている、とも言われています。桃太郎が鬼が島に鬼退治に行く時に、裏鬼門の未申(南西)の動物の申(猿)、酉(鶏)、戌(犬)をお供に連れて行ったと言う人もいます。未(ヒツジ)は日本にはいなかったから連れて行かなかったとか……。